かっしーの家別館 過去 の湘南二都物語プロローグ 鎌倉シネマワールドの思い出(その2)

悲しき口笛、東京キッド・・・松竹映画にも数多く主演した国民的歌手、美空ひばり。

ここシネマワールドにも、しっかりと足跡を残していました。

 

さて、鎌倉シネマワールドの思い出、後半の始まりです。まずは、時代町のご紹介です。

 

 

ここの時代劇セットは、日本一長いオープンセットだったそうです。

江戸の町の再現です。

居酒屋、旅籠、女郎部屋・・・いまにも長屋から、江戸の町人が姿を現しそうです。

 

 

 

突然ですが、「幸せの黄色いハンカチ」という映画をご存じでしょうか?

山田洋次監督、高倉健、倍賞千恵子、武田鉄矢らが出演した、北海道・夕張を舞台とする作品でした。

倍賞千恵子が高倉健の出所を待ち続けたあの家が、ここにありました。

残念ながら、黄色いハンカチはもうだいぶ飛んでいってしまってましたが・・・

 

 

 

再び、時代町に戻りましょう。

アトラクションの、猿飛佐助です。くの一(女忍者)の活躍がステキでした。

 

 

シネマワールドでは、実際のスタジオでどんな風に撮影が行われるかというのも、見せてくれました。

「入院患者」という作品の撮影風景(再現)です。

撮影準備完了を知らせる、ブザーの音が印象的でした。

 

 

小津安次郎監督です。

「東京物語」のラストシーンを撮影中です。

緊張の面もちが、厳しさを感じさせます。シネマワールドでは、小津監督をとても大切に扱っていました。

 

 

松竹大船撮影所は、1936年に東京・蒲田から移転してきました。

今でも駅の発車ベルに「蒲田行進曲」が流れる蒲田は、昭和初期の華やかな映画の全盛時代、
その中心地として君臨していました。

しかしだんだんと周辺が発展するに従い、映画の撮影には逆に不向きになっていったのです。

そこで、大船への移転が決定したのでした。

松竹大船撮影所は、まさに戦後の日本映画の歩みと共にあったと言っても過言ではないでしょう。

「悲しき口笛」「君の名は」「カルメン故郷に帰る」「東京物語」・・・

そこでは、きら星のごとく名作が生み出されていきました。

そして、小津安次郎、大島渚、山田洋次といった名監督の面々、

美空ひばり、笠智衆、原節子、渥美清といった名俳優の面々が、

すばらしい映画の殿堂を形作っていったのです。

 

 

日も暮れてきました。鎌倉シネマワールドの一日も、まもなく終わろうとしています。

いや、一日ではなく、その歴史そのものが、終わろうとしていたのでした。


しかし、映画の世界は不滅です。ここ、シネマワールドも、

いつの日か、再開する日が来るかも知れません。

それまで、しばしの別れということに、ここはしておきましょう。

  

 













そして、時は流れ・・・6年後




あの鎌倉シネマワールドの跡地には、鎌倉女子大学の立派な校舎が建っていました。







鎌倉シネマワールドの思い出

制作に当たっては、松竹(株)発行、鎌倉シネマワールド オフィシャルガイ ドブックを参考にしました。

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