かっしーの家別館 過去
の湘南二都物語プロローグ 鎌倉シネマワールドの思い出(その1)
・・・わたくし、生まれも育ちも葛飾
柴又です。
帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んで フーテンの寅と発します。・・・
1998年12月15日・・・鎌倉シネマワールドが閉園したあの日から、2004年のクリスマスではや6年 が経ちました。
思えば1995年、
松竹創業100周年(日本映画生誕100周年)記念事業として、松竹大船撮影所内に開園してから、
わずか4年で幕引きの時がやってきました。
開園時は、新しい形のテーマパークとして、大勢の人が押し掛けたものでした。
クリスマス直前の閉園。正面入り口にあったクリスマスツリーは、
お客さんと共にクリスマス当日を迎えることはできませんでした。
閉園後もツリーはぽつんと取り残され、あたりにはわびしさが漂っていました。
ここに取り上げた風景は、全て閉園の直前、1998年12月13日の撮影です。
一回行けば十分。そうした声がよく聞かれたものでした。シネマワールドへの客足は少しずつ落ち、閉園発表直前 はがらがらだったようです。定期観光バスのルートに乗ったりはしていたのですが、リピーターの少なさが決定的だったのでしょう。閉園発表後 は、そうした状況だったのが嘘のように、再び大勢の人が訪れました。
鎌倉シネマワールドの大きな目玉が、男はつらいよ〜寅さんだったでしょう。アトラクションコーナーをぬけると、そこには寅さんの世界が広 がっていました。葛飾・柴又、帝釈天。映画の舞台を再現した様々なセットは、まさに圧巻で、訪れた人々の胸を打ちました。1996年8月4日 に渥美清さんが逝去してから、2年の歳月が経っていました。
これは「くるまや」の内部です。旅先の寅さんを心配する家族の面々・・・映画のワンシーンがよみがえりま す。
そして柴又商店街が、帝釈天の参道が、私たちを寅さんの世界へと誘いました。とくに帝釈天は一日の移り変わりを演出し、流れる寅さんの音 楽と共にムードを盛り上げたものでした。
屋外には、寅さんの大きな壁画がありました。
美空ひばりの壁画もありましたが、それは(その2)でご紹介しましょう。
また、昔の松竹映画館のセットもありました。これは入り口だけで、裏側は屋外のまま、ベンチが並んでいまし た。
屋外には時代町オープンセットがあったのですが、これも(その2)でのご紹介としましょう。