世田谷線に里帰りした、江ノ電601号

 世田谷線の前身、玉電(渋谷〜二子玉川園、二子玉川園〜砧本村)は、昭和44年に廃止されましたが、そのとき、従来玉電を走っていた車両の多くが廃車されました。そのときの過剰車のうち、80形4両が、昭和45年に江ノ電にやってきました。江ノ電では、600形と呼ばれるようになりました。

 当時の江ノ電は、昔から走っていた単車を連接車に改造した2両編成が主でした。玉電からやってきた600形は、それまで江ノ電を走っていた電車に比べて大型で、しかも乗降扉が3枚と、混雑時に威力を発揮することを期待されての入線でした。ただ江ノ電はホームが普通の電車のように高く、路面電車仕様のままでは乗り降りできないため、600形は乗降扉のステップを切りつめて普通の電車のように改造しました。

 現在の江ノ電は、混雑時は全て4両編成で運行していますが、昭和50年代頃は、その内2本は2両編成のままとせざるを得ず、それに大型の600形や、後に長野県の上田交通からやってきたやはり大型車の800形を充当していました。やがて1000形をはじめとする新車の増備が進み、全ての編成を4両編成とすることができるようになると、これらの大型車は4両編成を組めないこともあり、徐々に廃車になっていきました。

 601は相棒の651と共に、平成2年春と、大型車の中では一番最後に廃車になりました。そして601は、世田谷線の宮の坂駅前にある宮の坂区民会館に里帰りし、651は運転台のみが、江ノ電江ノ島駅近くの扇屋という和菓子屋さんの店頭を飾ることになりました。ちなみにこの扇屋は、「江ノ電もなか」の販売元として有名です。

 宮の坂区民会館に保存されている、元江ノ電601号です。世田谷線時代は、87号を名乗っていました。

 ちょっと柵が目障りですが、前面窓など、現在世田谷線を走っている同型の80形と若干違っているのがわかると思います。これらの改造は、全て江ノ電時代に施工されたものです。
 600形は、2両の連結面が幌でつながっておらず(世田谷線もそうですね)、そのため連結部車内にはちょっとした空きスペースがあるのですが、私はこの部分に乗るのが大好きでした。この部分の窓は落とし窓になっており、この窓を開けると湘南のすがすがしい風が車内いっぱいに入ってきて、とても爽やかな気分になったものです。極楽寺のトンネルを抜けるときの天然のクーラー経験もステキでしたが、特に潮風をいっぱいに浴びながら、海辺を走るときが最高でした。
 600形が来るとたいてい私は連結部に乗り、この落とし窓を開けて、沿線の景色を楽しみました。他の連結部に乗り合わせたお客さんも、このような構造の電車は珍しいこともあって、皆一様に歓声を上げ、落とし窓から入る風をいっぱいに受けながら、沿線の素敵な景色に見入っていたものです。
 600形がなくなってから10年あまりが経ちますが、今でもあの情景は、私のいろいろある江ノ電の思い出の中でも鮮やかに思い出されるものの一つです。

 ちょっと感傷的になってしまいました(^^;;; 走る場所が違うので全く同じとはいきませんが、似たような経験は、今でも世田谷線の80形に乗れば味わえますね。

   
 601号の内部です。入り口には鍵がかかっているのですが、昼間は鍵がはずされ、自由に出入りできるようになっています。

 車内は江ノ電時代の色と違う、クリーム色っぽい色に塗装されていますが、雰囲気は未だ601号を彷彿とさせます。運転席の機器などにも601号のものが残り、懐かしかったです。乗降扉のガラスには、当時貼られていた藤沢市民会館のシールがまだ残っていました。

   
 さて、これが平成2年に同時に廃車となった、相棒の651号(世田谷線時代は88号、江ノ電では廃車直前まで602号)の前面部分です。江ノ島にある和菓子屋さん、扇屋の店頭に飾られているものです。

 ここは斜め前に江ノ電の本社があるほか、江ノ島駅を出た江ノ電が路面に出る真正面に当たり、よって車窓からもすぐにこの場所を確認できます。651号は、今でも毎日、行き来する後輩達を見守っているというわけです。

 扇屋では先程も述べたとおり、江ノ電もなかというお菓子を売っていますが、これは江ノ電や鎌倉を取り上げるガイドブックには必ずと言っていいほど紹介されており、すっかり有名になっています。よって人気も高く、たいてい午後には売り切れてしまうほどです。江ノ電をかたどったカラフルなパッケージに、つぶあんやこしあんなど、いろいろな餡を詰めたもなかを入れて、それを数本セットにして売っています。江ノ電に乗りに来られるとき、あるいは鎌倉方面にお越しになるときは、是非早めにこのお店に立ち寄って、ゲットして下さい!

 江ノ電では近年、新車の投入が続いたため古い電車がどんどん廃車になっていきましたが、この601号をはじめ、数両が各地で保存され、第2の人生を歩んでいます。世田谷の601号も、いつまでも区民の皆さんに愛されつつ、元気に余生を送って欲しいものですね!

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