かっしーの家 伝言板 (その55 2005.12.11〜27 貴重な投稿を頂きましたので特にアーカイブしました!)
176.上鰯さん、こんにちは。 返信 引用
名前:パパトレーシー 日付:12月20日(火) 11時54分
たかさん、こんにちは、上鰯さんにこの伝言板が早く伝わると うれしいのですが。
上鰯さんへ
こちらの伝言板に2年前からお邪魔しているパパトレーシーです、私は高根線沿線で育ちました。上鰯さんの書かれた「この高根線、かつては高
根が終点ではなく、鵠沼海岸商店街を通り、公民館前を抜けて134号線の鵠沼海岸まで運行されていた事実を御存知でしたか?」を拝見して、是
非伺いたいことがあります。テレビ神奈川(TVK42)が制作したニエアール特集番組(平成元年頃放送)で遭難事故当日の朝、藤沢駅からバス
で鵠沼海岸へ行ったという同行者の証言がありました。高根線は昭和10年頃すでに運行されていたか、ご存知でしょうか?もしこの路線が運行さ
れていれば、遭難場所にも近いことから、ニエアールが乗車した可能性が高いと推測できるのですが。因みに、ニエアール特集番組は横浜新聞博物
館内にあるNHKライブラリーのビデオで視ることが出来ます。
宜しくお願いします。
--------------------------------------------------------------------------------
178.Re: 上鰯さん、こんにちは。
名前:上鰯 日付:12月20日(火) 13時56分
パパトレーシーさん、はじめまして。
江ノ電バスは戦時中に一度バス事業から撤退しているので、戦前の路線免許関係の記録はあまり残っていないのですが、ちょっと調べてみます。
確か、戦前に運行していた記録はなかったと思います。
今、出先なのであまり確実な事は申し上げられないのですが、いずれにしても調べた結果を再度書き込みます。
あまり期待はしないで下さい。
--------------------------------------------------------------------------------
179.Re: 上鰯さん、こんにちは。
名前:パパトレーシー 日付:12月21日(水) 0時40分
たかさん、こんばんは、勝手に伝言板を拝借して申し訳ありません。
上鰯さんへ
早速の、書き込みありがとうございます あらためて宜しくお願いします。
ところで、お名前の由来は、上鰯・下鰯の旧地名から名づけられたのでしょうか?
--------------------------------------------------------------------------------
181.Re: 上鰯さん、こんにちは。
名前:たか 日付:12月22日(木) 22時52分
パパトレーシーさん、こんにちは。
伝言板、どうぞ使ってやってください(^^)
こういう形で使っていただけるのは光栄です。
ニエアールが高根のバスに乗ったかも・・・というのは、興味深いお話ですねえ。
でも、何分昔の話ではありますが・・・。どうなのでしょうね。
それでは。
--------------------------------------------------------------------------------
183.戦前期の高根線運行記録の検証
名前:上鰯 日付:12月23日(金) 4時41分
パパトレーシーさん、こんばんは。
HNの由来は御想像のとおり、上鰯地区出身だからです。
さて、御質問の件ですが、戦前期に現在の高根線のルートで路線バスが運行されていたかどうか検証してみました。
結論から先に申し上げると、100%の断言は出来ないものの、可能性は非常に高いと思います。
なお、『高根線』という名称は高根〜鵠沼海岸間が廃止となり高根が終点となってから使用されるようになったものです。
ではまず、『江ノ電バス10年のあゆみ』(1959年発行)、『江ノ電六十年記』(1962年発行)、『江ノ電八十年表』(1982年発
行)、『江ノ電の100年』(2002年発行)から抜粋した高根線関連の記録を年代順に示します。
なお、年号は全て昭和です。
@ 6−10−10 江ノ島〜鎌倉間にて乗合自動車事業を開始。
A 9− 8−27 藤沢自動車より藤沢〜鵠沼〜片瀬間の乗合自動車営業権譲受。
B 9− 9− 1 藤沢駅東口〜鵠沼海岸〜石上間(5.1km)の運輸開始。
C19− 3− 4 藤沢線、鵠沼線、辻堂線を休止。
D24− 6−11 乗合自動車事業を再開(鵠沼線については休止中)。
E26− 7−20 鵠沼線運行再開。
F28− 3− 9 石上線を廃止。
G34− 3−10 高根〜鵠沼海岸間廃止。
では、解説です。
Aでは藤沢自動車が既に運行していた路線を譲受したのか、あるいは路線免許だけを保有し運行していなかったものを譲受したのかは不明です。
Bでは循環線に近いルートで運行開始した事が判りますが、途中の経由地が明記されていない為、果たして現在の高根線のルートが含まれていた
かどうか不明です。
戦前、戦後ともに『鵠沼線』という名称が使われていますが、戦時中に路線免許は一度失効となり、戦後新たに申請取得した経緯があるので、夫々
が同一路線であるという確証はありません。
ただ、5.1kmというキロ程から考えると、高根線のルートで藤沢駅から下って来たとすれば鵠沼海岸から先は最短に近いルートで石上へ戻って
いた事になります。
恐らく天金通りあたりを通っていたのではないでしょうか?
Dの時点の路線図には上岡〜柳小路間の運休路線(途中停留所の記載は無し)が掲載されています。
恐らく、これが鵠沼線の一部(上岡〜高根〜鵠沼海岸〜柳小路)と考えられます。
なお、藤沢駅〜上岡間が運休となっていないのは、当時、藤沢駅〜上岡〜本鵠沼〜太平台〜辻堂北町〜辻堂駅という路線が存在したからです。
Fで石上線が廃止。この時点で藤沢駅〜高根〜鵠沼海岸という運行系統になったものと思われます。
なお、高根〜鵠沼海岸間で公民館前を通っていたというのは、20年位前に私が年配のバス職員に聞き取りをした際に判明しました。
という訳で、現在の高根線は戦前の鵠沼線の一部である可能性は高いと思います。
なお、本題とは直接関係ないのですが、以前に存在した運行系統として藤沢駅〜中岡間の区間運転があった事、中岡は一時期『湘南学園』という停
留所名に改称されていた事(何れも昭和30年代)を書き添えておきます。
--------------------------------------------------------------------------------
184.上鰯さん、ありがとうございます。
名前:パパトレーシー 日付:12月23日(金) 11時48分
上鰯さん おはようございます。
懇切丁寧な解説ありがとうございます。
ニエアールが前日宿泊した個人住宅は、現在のトポスと一本松踏み切りを結ぶ中間付近でした。当時の地図で藤沢駅周辺から海岸までの道を調べま
すとバスの運行ができるのは
1 現在の高根線
2 藤沢警察から伏見稲荷前へ到る道(鵠沼新道)
3 天金通り
さらに乗り合いバスの運行という観点からだと当時の人口分布から推測して鵠沼新道は無かったのではと思います。
遭難事故日は昭和10年7月17日ですから、上鰯さんの
B藤沢ー石上循環線の経路で海岸へ行ったのだと推測します。
また、石上というのは、バス車庫のあった(現在のイトーヨーカドー
藤沢店)ではないのでしょうか、車庫に入るのは当時のバスの性能から燃料給油だったのではと思います。
私の高根線の思い出は、藤沢駅から乗ると、秩父宮邸前を過ぎたところで車掌さんが「舗装が終わりますからご注意ください」の車内放送をした
ことでした。
上鰯さんのHN風に名乗ると、私は川袋となります、今後とも宜しく御願いします。
たかさんへ、
おはようございます、管理者へのご挨拶が最後になり申し訳ありません、お蔭様で地元の疑問が一つ解決しました。今後も、勝ってにお邪魔させ
ていただきます。
--------------------------------------------------------------------------------
185.車庫について
名前:上鰯 日付:12月25日(日) 3時18分
パパトレーシーさん、こんばんは。
現在のイトーヨーカドーの所にあった車庫(奥田車庫)は、戦後のバス事業再開から暫く経ってから開設されたものです。
戦前の車庫は江ノ島駅周辺、あるいは藤沢駅前にあったものと思われます。
何故循環とせずに石上止まりとなっていたのかは判りません。
--------------------------------------------------------------------------------
187.歴史ですねえ。
名前:たか 日付:12月27日(火) 20時8分
こんにちは。
上鰯さんの書き込み、歴史ですねえ。
私も社史「江ノ電の100年」を持っていますが、江ノ電という会社も長い歴史を、しかも地元密着で過ごしてきただけあって、社史にとどまらず
湘南史とでも言うべきものになっているなあ、と感じました。
パパトレーシーさん、高瀬通りを過ぎると道が未舗装になっていたのですか。今では、当時の周りの風景を含め、想像もつかない感じですね。
私も、昔話をひとつ。
南口のバス車庫ですが、昭和40年代後半ころは、今の奥田公園のあたりにバスの待機所のようなものがありましたね。もう鵠沼車庫はできてまし
たが、昔の名残が残っていたのでしょうか・・・
それでは。
173.鵠沼堰跡の風景を追加 返信 引用
名前:たか 日付:12月17日(土) 11時41分
皆さん、こんにちは。
最近、寒い日が続きますね。大寒波襲来とか・・・
毎朝、布団から起きるのがつらいです(^^;;
藤沢館に、また追加展示しました。
第6展示室「鵠沼海岸の引地川旧流跡をたずねて」に、昔あった鵠沼堰の現在の風景を1点、追加展示です。
これは夏ごろ、藤沢館のトップに一度展示したものですが、よりふさわしい場所に収めてみました。
それでは♪
--------------------------------------------------------------------------------
174.Re: 鵠沼堰跡の風景を追加
名前:上鰯 日付:12月18日(日) 5時37分
たかさん、早速の画像アップ有難うございます。
私は昨日メールを差し上げた辻堂元町在住の者です。
家にパソコンが無いので、ネットカフェまで見に来ました。
ところで、こちらのサイトの電車やバスのページを初めて拝見したのですが、私と同じ様な趣味をお持ちですね。
私はツリカケ式の音が大好きです。
江ノ電のツリカケはちょっと物足りないような気がしますが、それでも最近の1101等は結構いい音になってきましたね。
あと、600型の連結面に乗るのも大好きでした。
それから高根線ですが、同線で使われていた最後のツーマン車117号が現在も保存されているのを御存知ですか?
現在は人手に渡してしまいましたが、2年前まで所有していたのは、何を隠そうこの私です。
この高根線、かつては高根が終点ではなく、鵠沼海岸商店街を通り、公民館前を抜けて134号線の鵠沼海岸まで運行されていた事実を御存知でし
たか?
以上、とりとめもない事を長々と失礼しました。
今後とも宜しくお願い致します。
--------------------------------------------------------------------------------
175.Re: 鵠沼堰跡の風景を追加
名前:たか 日付:12月19日(月) 23時6分
上鰯さん、こんにちは。
かっしーの家にようこそ!
わざわざネットカフェにお越しいただいて・・・(^^;
堀川の件でメールを頂きましたが、江ノ電にもお乗りになられていたんですね。
しかも、600形の連結部がお好きだったとは・・・私も、あそこに乗るのが大好きでした。
夏など、落とし窓を開けて乗っていると、爽やかな海風が入ってきて、それは気持ちよかったですよね。600は大好きな電車でした。懐かしいで
す。
つり掛け音も、貴重ですよね。もう神奈川県内では、江ノ電と箱根登山しか聞けなくなったんじゃないでしょうか。私は通学に江ノ電を使ってまし
たが、当時はみんなつり掛けでした。古い電車ばかりで・・・これも、懐かしい思い出です。
しかも、驚いたことに高根線を走っていたあのツーマン車117を保有されていたのですか??117号車は、江ノ電はおろか神奈川県内でも確
か最後のツーマン車だったと聞いたことがありますが、何度か乗ったこともあり、実に懐かしい限りです。写真でもいいので、もう一度見てみたい
ものです。
高根線が鵠沼海岸まで走っていたのは、おそらく昭和30年代くらいまでのことですよね?そのころは、江ノ電バスも小さいバスばかりで、自動車
も少なかったでしょうから、今では考えられないようなコースを走っていたんでしょうね。私も、昭和40年代まで、辻堂駅から本鵠沼駅までの路
線があったのを記憶しています。いまの辻堂駅〜大平台〜鵠沼車庫線がその名残ですよね。
上鰯さん、またどうぞかっしーの家にお越しください☆
懐かしいお話を伺えました。
それでは。
--------------------------------------------------------------------------------
177.Re: 鵠沼堰跡の風景を追加
名前:上鰯 日付:12月20日(火) 13時47分
たかさん、レス有難うございます。
600型は、特にプレスドアをつけていた601が好きでした。
連結面に乗るのは800でも可能でしたが、流線型の600の方が角の細い窓のところに立って景色を眺められたのでよかったですね。
117の写真ですが、もちろん沢山あります。
そりゃそうです、なんたって自分の車だったんだから・・・。
最近同車の模型が発売されたのを御存知ですか?
メーカーから私のところに申し入れがあり、かなり細かいところまでこちらの注文を聴いて模型化してくれました。
嬉しいのは、ナンバープレートや方向幕まできちんと再現されている事です。
方向幕は、デカールで『高根』を貼り付けて売られているのですが、付録で換えのデカールをつけるとの事だったので『大磯駅』『プールガーデ
ン』『本鵠沼』『江ノ島鎌倉観光』を入れてもらいました。
うちに在庫があるので、御希望でしたら定価より安くお分けできますよ。
--------------------------------------------------------------------------------
180.Re: 鵠沼堰跡の風景を追加
名前:たか 日付:12月22日(木) 22時47分
上鰯さん、どうもです。
江ノ電で連結面には600と80が乗れましたけど、私も600の方が良かったです。
みんな、楽しそうでしたね・・・
私は604が結構好きでした。どういうわけか、ほかの3両の600とは走行音が違ってたんですよね。変わった音でした。
あと、晩年は603+604の編成は、警笛がほかの江ノ電の電車と違ってました。これも理由は知りませんが、普通の江ノ電は(今でも)、
ファーンというような音だったのに、603の編成は、ホーッみないな音で、なんか尺八を吹いてるみたいな感じだったような・・・(笑)
117号車は、高根線も走ってましたが、辻堂駅とか大船駅にも、時たま姿を現したみたいですね。確か、辻堂行きに乗ったことがあるような気
がします。車内は、今のバスと違ってベンチみたいな椅子の配置でしたね。
無論、高根線でも乗りました。当時は高根線はみんなツーマンの小型車でしたねえ・・・
それでは。
--------------------------------------------------------------------------------
182.Re: 鵠沼堰跡の風景を追加
名前:上鰯 日付:12月23日(金) 3時22分
たかさん、こんばんは。
600型は601+602と603+604では電動機形式が異なっていました。
特に603と604では同一編成でも夫々異形式の電動機を装備していたようです。
117は昭和40年代末期頃には主に茅ヶ崎線で、もう1台のツーマン車106(ふそうMR470ロマンスシート車)と共通運用に就いていまし
た。
出入庫で太平台又は湘洋中学線を走っていたので、たかさんが乗ったのはこれでしょう。
昭和50年代初頭になると、午前中は武田薬品線で走り、午後は車庫〜藤原〜藤沢駅〜手広〜大船駅を1往復した後、夕方の高根線の増発便に使用
されていました。
新車の頃は本鵠沼線等にも使用されたようです。
--------------------------------------------------------------------------------
186.Re: 鵠沼堰跡の風景を追加
名前:たか 日付:12月27日(火) 19時59分
上鰯さん、こんにちは。
106号のバスも、懐かしいです。乗りました。
中扉しかなくて、バスの一番前まで座席がありましたね。しかも前向き。特等の展望席でした。辻堂駅や藤沢駅から乗った記憶がありますが、これ
も茅ヶ崎に行っていたんですね。
今の江ノ電バスは、みんな少し小型になりましたが、やはりお客さんの動向と無関係ではないのでしょうね。
それでは。
168.鵠沼プール 返信 引用
名前:飛 日付:12月9日(金) 19時31分
(今頃ですが)実は「鵠沼プール」で検索して来て、サイトを拝見いたしました。子供の頃何度か行ったので、ちょっと懐かしくなりまして。(家
は県外です) ……もうなくなってたんですね〜。ちなみに私が行ってたのは、巨大親子ガメがいた頃でした。(古い;)
では、失礼いたします。これからもサイト運営がんばってください。
--------------------------------------------------------------------------------
172.Re: 鵠沼プール
名前:たか 日付:12月11日(日) 9時15分
飛さん、こんにちは。
かっしーの家にようこそ!
鵠沼プール、プールガーデン、なくなって、もう5年ですか・・・
鵠沼海岸も、くげプーがなくなって結構変わったような気がします。夏の商店街も気持寂しくなったし。
跡地は今はスケボーパークになってますが、将来的には地下にポンプ場ができる予定です。
鵠沼海岸は時たま浸水被害があるので、多くの住民が完成を待ち望んでいるのですが・・・早く着工して欲しいものです。
またどうぞ、かっしーの家にお越しくださいね!
それでは(^^)
--------------------------------------------------------------------------------
188.こんばんは、車庫について 返信 引用
名前:パパトレーシー 日付:12月27日(火) 21時40分
上鰯さん、こんばんは
車庫が出来たのはは戦後だったのですね、私は今の東急ハンズ立体駐車場付近に、出初式を見に行った記憶があります、まだ県道から境川側はスス
キ原だった頃です。
私の記憶している昭和30年代後半の石上駅は丘の上に藤沢教会があり、線路の両側に道路が無くて下車した乗客は線路を通っていたこと、南側
の踏み切りを渡った東側にローラースケート場があったことです。それと石上は砥上だったように思います。
たかさん、昔話ありがとうございます。高瀬通りは、母の話によれば、昭和天皇が病弱の秩父宮を見舞いに来るので急遽、現在の秩父宮体育館
前から舗装したそうでう。舗装の切れ目は横浜の生糸豪商の一人の上朗邸前まででした。
--------------------------------------------------------------------------------
189.いざ「電車で」鎌倉へ! 別館に再展示
名前:たか 日付:12月27日(火) 22時4分
パパトレーシーさん、こんばんは。
石上付近は、私の記憶の中ではもう今の高架線ができた後しかありません。あの高架線が開通したとき、友人たちと見に行った記憶があります。石
上旧駅は、どんなだったのか、電車に乗って何度か通ったはずですが記憶にありません。
藤沢南口にローラースケート場があったなど、貴重なお話をありがとうございます。
さて、いよいよ今年もあとわずかとなりましたが、別館に以前湘南二都物語プロローグに展示した「いざ「電車で」鎌倉へ!」を再展示しまし
た。
もう6年ほど前になりますが、鎌倉で行われた大規模な交通実験の模様のご紹介です。この実験を元に、由比ガ浜地下駐車場と鶴岡八幡宮を結ぶ
パーク&ライド路線や、鎌倉駅西口からのミニバス路線などが開通しました。
ただ、前者は開通当時から今まで、あまり利用が振るわないのが残念です。後者は住宅地と駅を渋滞を避けて結ぶ路線として、賑わっていますが、
この鎌倉西口発のミニバス路線が最近路線を延長したため、延長部分を先日取材してきました。
それを機に、関連する交通実験のページも別館に再展示したものです。別館の展示は、これをもって一段落です。
湘南二都物語第2幕ミニバスを走る街第11部に展示中の、鎌倉駅西口〜桔梗山・山の上ロータリー線がこのたび延長した路線ですが、この延長 部分の更新は、年明けを予定しています。
それでは!