かっしーの家藤沢館 第14展示室

そして、今、
江ノ島に新しい風が吹く!

(Vol.2)

- 新展望灯台&サムエル・コッキング苑、オープン -


江ノ島の新しい歴史のページが開いた瞬間。
海の女王の二人も、大喜びです。


オープニングセレモニーも終わり、待ちかねた一般客がゲートへとまっしぐらに進みます。
かつての植物園入口ゲートは、シックな和風の趣のゲートに生まれ変わりました。

この日、入場は最大1時間待ち位になりました。
サムエル・コッキング苑の入場料は、一般200円です。
ゲート向かって左側に、入場券の販売機があります。


さて、いよいよ苑内です。
ここが、苑名ゆかりのサムエル・コッキングが造営した
温室の遺構です。

ここは以前の植物園時代は、基本的に土の中でした。
左側の写真に写っている遺構は例外で、睡蓮とかが浮かぶ池として再整備直前まで使われてましたが・・・

もともとこの地は、江島神社の社有地だったそうで、
そこを1882(明治15)年、横浜にいたコッキングが買って和洋折衷の庭園を造営したそうです。
藤沢市観光協会のパンフレットによると、
「庭園の総面積は1万uを超え、園路、石垣、築山、池、花壇のほか、広さ660uの温室が造られた」そうです。
「この温室は、当時日本一の広さで、温室の中はもちろん庭園内には熱帯・亜熱帯の植物が生い茂り、
さながら南国のたたずまいを現出していたと言われ」たそうです。

しかしその後、1914(大正3)年にコッキングが亡くなると、庭園は荒廃し、
1923(大正12)年の関東大震災で、温室の上屋はすべて倒壊してしまったそうです。
そして、第2次大戦後までこの状態は続きましたが、戦後この地を藤沢市が買収し、
1949(昭和24)年、植物園として整備し直しました。
その時、前に述べた池以外は、全て地中に埋められてしまったのでした。

今回、約半世紀ぶりに、サムエル・コッキングの温室遺構が、日の目を見たことになります。

率直なところ、この遺構は、なかなかすばらしいものだと思いました。
今まで土に埋もれていたのが、もったいないほどです。
日本近代文明の黎明期を代表する、遺構のひとつではないでしょうか。
この遺構は、江ノ島に新しい魅力を付け加えたといっても過言ではないように感じました。

右側の写真が、温室の遺構のメイン部分です。
特別に、遺構の中を通り抜けることができました。
その内部の様子が、左下の写真です。


コッキング温室遺構の内部です。
通路左側の窓は、アクアリュウム(水槽)の跡で、
ここで水棲の動植物を飼育していたと考えられています。
(藤沢市生涯学習課のパンフより)
通路上の穴は、明かり取り用らしいです。

ここは特別公開だそうですが
(レンガの構造物が弱ってるらしい)、
何となく、中世ヨーロッパのお城の中みたいな雰囲気が、
すごく、異次元空間的な雰囲気をかもし出していました。
通れなくてもいいから、せめて内部を
覗けるようにしておいて欲しいと思います。

これを見るだけでも、
江ノ島に来る価値があると思いますよ(^^)。

さてこちらは、マイアミビーチ広場と名づけられた、
七里ガ浜方面の海を一望できる広場です。
コッキング温室遺構の奥にあります。

以前の植物園時代にも、この広場はありましたが、
うっそうと生い茂った木々の陰になっていて、
あまりメジャーな場所とは言えないたたずまいでした。
足元も、こんなにきれいではありませんでしたし・・・

今回のリニューアルで、
この広場は、息を吹き返した感があります。
また広場に面して、
軽食の取れるカフェがオープンしました。


さてこちらは、同じくコッキング苑の一角にある、
昆明広場(春澤園)です。

中国西南部の雲南省省都、昆明市は、中国国歌「義勇軍行進曲」を作曲した聶耳(ニエ・アル)の出身地で・・・、
ここまで書くと藤沢の方は、
どうして両市が姉妹都市提携(1981年締結)を結んでいるか、お分かりかと思います。
鵠沼海岸で聶耳が水泳中溺れて亡くなったのは、1935(昭和10)年のことでした。
かっしーの家藤沢館でも、聶耳にまつわるお話は既にご紹介済み( 鵠沼海岸を巡って(2丁目))ですので、
詳細はそちらに譲るとして、ここでは、この広場の建造物についてお話しましょう。

左側は、中国伝統建築様式の四阿(あずまや)、「騁碧亭(ていへきてい)」です。
中国の技術者7人の手により、2ヶ月がかりで完成したそうです。
右側は、その内側の天井部です。
この亭の脇には、昆明市から寄贈された「孔雀の彫像」が設置されています。


再整備された、苑内の風景です。
以前の植物園時代、ここは、各種の亜熱帯植物や椿が有名でしたが、
再整備後も、その面影は残されています。


こちらは、苑内北西部に新しく造られた、松本館です。
この蔵作りの壁面は、「なまこ壁」というそうです。
松本市も、藤沢とは長く姉妹提携を結んでいて、辻堂海岸には、千曲荘という名の宿泊施設までありました。

サムエル・コッキング苑には、
これら藤沢市と、姉妹提携を結んでいる都市ゆかりの広場が設けられているのが特徴で、
ここの松本広場、先ほどの昆明広場、
コッキング温室遺構の西側がウィンザー広場(バラの植栽)、
昨年姉妹提携を結んだ韓国の保寧市に因んだ、保寧広場(椿の植栽)があります。

オープニングイベントとして、この日、信州手打ち蕎麦が無料で300食ふるまわれました。
私も頂きましたが、コシがあって、おいしかったです(^^)
この蕎麦を打つために、松本からは蕎麦打ちの市民ボランティアの方々が来てくださいました。
こういうボランティアも、いいですね!


松本広場に建つ、松本・藤沢姉妹提携40周年記念の記念碑です。
オープニングセレモニーの来賓で来てらした、有賀・松本市長の筆です。
音楽都市として、国内屈指の存在の両市ですが(松本;サイトウキネンフェスティバル、藤沢;市民オペラ)、
これからは、音楽事業での交流が、もっと増えるといいかな・・・そう、ちょっと思いました。


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