鵠沼海岸7丁目です。下の地図のエリアです。

 鵠沼海岸7丁目は、6丁目の東側にあたり、北側は本鵠沼に接しています。鵠沼海岸は、南の方は昔は「高根」と呼ばれていたということを3丁目と5丁目でご紹介しましたが、7丁目の北部は、かつて「堀川」と呼ばれていました。

 7丁目は全般的に、3丁目に似て、閑静な住宅地が広がるエリアだといえます。6丁目との間には鵠沼新道がありますが、なぜか鵠沼新道は6丁目側には店が多いのですが、7丁目側にはあまりありません。また、3丁目には鵠沼銀座という商店街がありますが、7丁目には商店街もありません。そういう意味では、一番住宅地らしいエリアでしょう。住宅地の間にはほんの少しですが、昔の名残の畑が点在しています。
あと、7丁目には鵠沼海岸で唯一のお寺、本真寺があります。またこのお寺は、尼寺ということでも珍しい存在です。

 それでは、7丁目をご紹介していきましょう。(99.4.26.鵠沼海岸別荘地開発記念碑を追加展示)

 A地点です。典型的な7丁目の住宅地の風景です。今各地で造成されている新興住宅地が、将来はこんな風になるだろうというような雰囲気だと思いませんか?

 この辺は松の木があまり目立たないので、鵠沼らしさというよりも、穏やかな郊外の古い住宅地という印象が強いように思います。この道の右側に少しはいると、小田急線の線路が平行しています。

   
 B地点です。住宅地の合間に残る、畑の風景です。鵠沼海岸は昔は全体的に砂丘のような土地だったので、畑といっても砂地です。この写真は2月下旬撮影なので何も植わっていませんが、こうした畑では、サツマイモなどが多く栽培されているようです。

 ちょっとわかりにくいのですけれども、畑の向こう側、中央より少し左側に、斜め右下がりの屋根を持つ建物が見えますが、これは聖マルコ幼稚園という、キリスト教系の幼稚園です。このあたりでは、割と古い幼稚園です。小さな教会が付属してあり、日曜の朝には日曜学校も開かれています。またここは、ボーイスカウト藤沢団の拠点にもなっています。

   
 C地点です。ここは鵠沼海岸のはずれですが、超弩級の店があります。それがこの「支那そばや」です。ご覧のようにすごい行列ですが、平日の昼間もこのような状態です。ここは全国的にその名を知られたラーメン屋で、テレビ、雑誌等で何度も紹介されています。

 この店では、名古屋コーチンという鶏からだしを取ったスープを使い(チャーシューも名古屋コーチン)、ねぎは京都の九条ネギ、麺も自家製麺を使用するなど、非常に素材にこだわっていて、まさに究極のラーメンといえます。品質にこだわるあまり、麺などの出来が悪いと、たとえ日曜であっても急に店を休むときもあります。また開いていても、大体午後3時頃になると麺が無くなってしまうので、店じまいしてしまいます(開店は朝の11時です)。

 ここのマスターはお客が店内でおしゃべりするのを嫌い、そういうことがあると出ていってくれと言われることもあるので注意して下さい。味は人によって様々な受け止め方があると思いますが、私は非常に濃厚な味のラーメンだと思います。これほどの味のラーメンには、確かに簡単には出会えないでしょう。大勢人が並ぶのもうなずけます。ただ遠くからも客が集まるので、付近に路上駐車が多いのが難点です。藤沢駅北口から出る鵠沼車庫前行きの江ノ電バスに乗り、藤原バス停で降りると、目の前に店があります。

   
 D地点です。ここが鵠沼海岸唯一のお寺でかつ尼寺の、浄土宗本真寺です。ここも鵠沼海岸のはずれで、北側の細い道を挟んで、すぐに本鵠沼です。
 元々このお寺はもっと海岸寄りにあったそうですが、関東大震災の時の津波で被害を受け、この地に移転してきたそうです。

 昭和40年代後半まで、辻堂駅から浜見山、太平台、藤原を通って本鵠沼駅までの江ノ電バス路線がありましたが、このお寺の近くの三叉路に、そのバス路線の「堀川」バス停がありました。現在本鵠沼駅前には小さな広場がありますが、そこでバスは折り返していました。

   
 上でご紹介した本真寺には、明治時代に鵠沼海岸を別荘地として開拓した先覚者、伊藤将行のお墓があります。伊藤将行は、2丁目にあった東屋旅館の創業者でもあり、いわば、今日の鵠沼海岸の恩人とも言える人です。

 江ノ電の鵠沼駅前に賀来神社という神社がありますが、この境内に伊藤将行の業績を顕彰した、「鵠沼海岸別荘地開発記念碑」という石碑があります。

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