かっしーの家藤沢館 第2展示室 鵠沼海岸を巡って(その2 鵠沼海岸4・5丁目)

 鵠沼海岸4・5丁目は、引地川河口部の西側から、市道鵠沼海岸線(鵠沼新道)沿道の内陸部につながるエリアになります。ここの特徴はやはり引地川の風景と、辻堂へとつながる海岸部の風景、ということになるでしょう。昔は松林と砂丘が続く地帯だったようですが、今は落ち着いた住宅街になっており、また鵠沼新道沿いには、おしゃれなお店が増えています。引地川沿いには、きれいな緑道が整備されており、サイクリングや散歩には格好のスポットになっています。

 引地川は、昔は河口部でよく氾濫を繰り返したようで、そのなごりでしょうか、かつて今の江ノ電バスの車庫あたりから支流が分かれ、現在の河口の東側(ニエアルの碑の付近)で海に流れ込んでいました。この引地川支流については、鵠沼海岸2丁目にあった東屋の歴史と共に、別に特集を組みたいと思います。

 
 それではまず、4丁目からご紹介していきましょう。(緑字は、99.4.5.追加展示した部分、桃色字は、99.4.25.2地点、3地点の撮影場所変更等に伴う変更部分、オレンジ字は、99.7.24.4,5地点の展示替えに伴う変更部分、紫字は、99.9.20、5地点展示替えに伴う変更部分、赤字は、2000.9.28.鵠沼プールガーデンに関する記述を追加した部分です。)
 
 
 4丁目は、上の地図の赤枠範囲になります。赤枠内の黄色い数字は、風景撮影の地点を示しています。

 ちょうど引地川と海に挟まれたエリアです。この西側は、辻堂東海岸になります。

 こうしてみると、鵠沼海岸の中でも、最も海岸の面積が多いエリアといえそうです。ただし、ここの海岸は河口付2近のため水深が急に深くなったりしているので、遊泳は禁止です。その代わりサーファーの格好のプレイスポットになっています。

 また夏になると、昔懐かしい地引網が、ここの海岸で行われています。

   
 1地点、稲荷橋から撮影した引地川上流方面の風景です。見えている橋は日の出橋です。川の左側が4丁目、右側が5丁目になります。

 引地川は、前述したように昔はよく氾濫したそうですが、護岸工事が完成した現在では、そんな話も昔話となりました。ただし嵐の後など、今でもかなり増水したりしてますが・・・川の両側には、整備された緑道が続いています。

 このあたりには、海から遡上してきた飛び魚の姿や、いつから住みついたのか、アヒルの姿があったりします。
 
右岸の川べりには、川釣りを楽しんでいる人の姿が見えます。また、引地川では、休日などにカヌーを楽しむ人々も見かけます。鵠南小学校の裏手に、カヌー基地(?)があります。

   
 引地川沿いの緑道の風景です。4丁目側の道で,2地点での撮影です。

 この緑道は、「川べりの遊歩道」という名前で、鵠南小学校前から、旧国道1号線の引地橋際まで続いています。2車線の県道と、写真のようなサイクリングロードが、たくさんの緑に囲まれて続きます。春には新緑がまぶしく、秋には紅葉がきれいです。たくさんの草花が、それに彩りを添えます。犬をつれてお散歩している人や、ジョギングをしている人など、いろんな人たちがこの緑道をエンジョイしています。
 
この風景は4月の撮影ですが、桜の花がきれいで、大勢の人が散歩を楽しんでいるのがおわかり頂けるでしょう。
 
またドライバーの立場からも、この県道は、国道134号線から藤沢北部方面へ抜ける近道として重要な路線です。

   
 藤沢市立鵠南小学校です。3地点、校庭の片隅からの撮影です。

 鵠南小学校は、昭和45年に開校した、この付近では一番新しい小学校です。辻堂小学校と、鵠洋小学校の学区をそれぞれ一部ずつ受け継いでできました。開校当時は写真に見える校舎のうち、右側の3階立ての部分とそれに続く4階立ての右端の教室はなく、体育館(一番右手の低い建物)もプールもない状態でのスタートでした。一時は1学年4クラスくらいまで増えたようですが、今は児童の減少で、クラス数も減っているようです。本校の校歌は、アニメ「ルパン3世(初代)」などの音楽を手がけた、山下毅郎氏の作曲です。

 撮影当日は、少年野球チーム(鵠南シーガルス)がグラウンドで練習中でした。

   
 4地点、海岸から見た、小田急鵠沼プールガーデンです。

 「くげプー」の愛称で親しまれるこのプールは、小田急の経営ですが、実は藤沢市の公園(鵠沼海浜公園)でもあり、シーズンオフ近くの1日を、市民に開放しています。スカイポンドジャーニー(白いスライダーのことです・・・通称「くげプーのスカポン」です!)が、まるで夏空に昇る龍のようです。

 右側のスライダーの一番上には、ちょっとわかりにくいですが順番待ちの子供達が並んでいます。砂浜には、サーファーの姿がそこここに見られました。

 残念ながら鵠沼プールガーデンは、採算性の問題から、2000.9.3.をもって閉鎖され、40年の歴史にピリオドを打ちました。跡地(藤沢市からの借地だった)がどうなるかについては閉鎖時点で未定ですが、とりあえず小田急は、更地にして土地を藤沢市に返還するそうです。

   
 5地点、4丁目の海岸から見た、江ノ島の風景です。

 夏になると、鵠沼海岸では早朝に地引網が行われ、活気に包まれます。その場所がここです。この日も、早朝から第2堀川丸による地引網が行われました。
 この海岸で行われるのは基本的には観光地引網で、やってもらうにはグループによる予約が必要です。画面には、早朝からのイベントも一段落つき、憩う人々の姿が見えます。あたりに干してある緑色のものが、使い終わった網です。今日も大漁だったのかな?
 近くでは、さっそく捕れた魚を焼いて調理していました。

 この付近では、シーズンにかかわらず大勢のサーファーの姿を見かけることができます。この日も、写真には写っていませんが画面の外には、波間に浮かぶ数人のサーファーの姿がありました。

 夏の海岸は、残念ながらたくさんのゴミが散乱しがちです。行政が定期的に清掃を実施するほか、地元の人々も、時たま休日の朝、海岸清掃を行っています。またサーファーの有志も、海岸清掃をしてくれます。大勢の人々の力で、海岸の環境が保たれているのです。
 湘南海岸に遊びに来られる皆さん、ゴミのポイ捨てなどしないよう、海岸美化にご協力下さいね!

                                                                     

6地点です。99.4.5.追加展示しました。4丁目の海側にある、藤沢市立湘洋公園です。

 引地川の西側に当たるこの辺は、本来は隣接する辻堂東海岸に含まれてもいいようなエリアですが、鵠沼海岸になっています。これは、昔このあたりで引地川が大きく蛇行していたためで、かつては、この付近も引地川の東側だったのですが、川が現在の流れの位置に改修されたため、川の西側になってしまったのです。こうした例は、相模川の下流などにもあります(茅ヶ崎市側の河口部分に、一部平塚市のエリアがある)。

 過去の沿革は以上のようなことなのですが、そのせいかどうか、このあたりは、引地川を挟んで東側と西側で、街の雰囲気がちょっと違うような気がします。東側はこの「鵠沼海岸を巡って」シリーズでご紹介しているような街並みな訳ですが、西側の、いわゆる辻堂東海岸エリアは、私など散歩していると、何か、明るく洗練された街並みだなあ、というような感じを受けます。
 この風景の反対側には、藤沢市の市営住宅が広がっています。

   

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