湘南二都物語 第1幕 江ノ 電をめぐる情景特別編

嗚呼、郷愁の「玉電」

松蔭神社前駅に進入する81+82編成

 

 2001年・・・21世紀の幕開けとなるこの年に、ひとつの歴史が終わろうとしています・・・

 東急世田谷線を走る、古い電車達が、2001年中に、全て新しい電車と置き換わってしまうのです。

 湘南二都物語、第1幕第4部特別編「山の手の隣人・・・東急世田谷線」で、
世田谷線の古い電車達の活躍ぶりを、たくさんお伝えしています。
皆、世田谷の街の風景に溶け込んでいて、すっかり、住人の一員といった感じですよね。
彼らは確実に、世田谷の歴史の一翼を担ってきたのでした。

 そして、世田谷線旧型車にとって最後の年の瀬となった2000年の暮れ、旧型車の一員、80型81+82 編成が、昭和44年まで走っていたかつての「玉電」塗装となって、走りはじめました。

 郷愁の「玉電」!
この電車が、かつて国道246号の路上を、渋谷から二子玉川園(現、二子玉川)まで、そして二子玉川園から砧まで、走っていたのです。もちろ ん現在の世田谷線の線路も、渋谷から直通で走っていました。
私は玉電時代に乗ったことはないのですが、去り行く電車達に敬意を払う意味からも、
あえて「郷愁の」という言葉を使いたいと思います。

ここでは、玉電塗装となった81+82編成の姿を、内側も外側も、たっぷりご覧頂きたいと思います。

おりしも取材前日、東京には雪が降りました・・・これは、雪の世田谷線の姿でもあります。

   
上2枚は、82号車の車内風景です。

世田谷線旧型車は、ニス塗りの車内が、とてもシックで、
落ち着いた雰囲気を醸し出していました・・・

   
 
82号車の連結部分です。

かつて玉電では、電車は1両で運転されていました。
ここは、撤去された運転台の跡です。

宮の坂で保存されている旧87号(元江ノ電601号)の項でも述べたのですが、
この連結部分に佇むと、私は、なんともいえない旅情を感じたものでした。
特に江ノ電を走っていた元玉電の電車達(江ノ電600型)に乗ったときのそれは、
素敵な思い出となって、今もよみがえります。
ここ世田谷線でも、わずか5キロの短い道のりですが、
日常の空間から解放された「非日常的」体験として、
この小さなスペースに、旅を感じた方も多かったのでは、と、私は想像するのですが・・・

現在の世田谷線では、2両連結運転となっていますが、旧型車は幌でつながってなく、
このように運転台の跡と跡が向かい合って連結され、2両編成となっています。
でも全ての旧型車で片側の運転台が撤去されてしまったわけではなく、
中には、両側に運転台を残した電車もありました。

新型電車(300型)は、連接車と呼ばれる構造(江ノ電と同じ)で、全て幌でつながれた2両編成となっています。

   
   

天井付近を写してみました。
レトロな扇風機や吊り皮の金具が、時代を彷彿とさせます。

世田谷線の旧型車が廃車となることで、東京を走る全ての営業電車は、冷房車となり ます・・・

   
   
   
運転台付近です。

このシンプルな設備が、昔は当たり前でした・・・

いや、実は昔はもっともっとシンプルな設備でした。速度計も、無線もついてませんでした。

   
   
   
下高井戸駅で撮影した、玉電塗装80型の雄姿です。

車体サイドに見える、「T.K.K.」の文字。これこそ、昔の東急線(東京急行)のトレードマークでした。

駅は近代化されましたが、そこに停車する電車は、昔のままです。

   

そして、80型は折り返し三軒茶屋へ向けて、下高井戸駅を出ていったのでした。

雪の残る路盤に、玉電塗装がまぶしい、新世紀初頭のワンシーンでした・・・

 

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